最初の結婚16~実家に戻る、離婚届け提出(1998年6月)

私は実家に息子を連れて戻りました。

母を激怒させた事もあり、実家には帰りづらかったのですが

それでも、温かく迎えてくれました。

 

 

今まで使っていた携帯も解約し、新たに別の携帯を契約しました。

元夫はキレると何をするか分からない人だったので

家に荷物を取りに戻る時は義兄に一緒に来てもらいました。

 

義兄は見た目がかなりコワいので……(笑)

 

その時、元夫は「養育費を払う」と言いましたが

一度も養育費が支払われた事がありませんでした。

 

息子の親権は私が持つ事になり、離婚しました。

 

離婚してから、元夫とは会っていません。

どこで何をしているのかも、分かりません。

どこかで生きているはずです。

もしも……の場合は息子に連絡がある、はずです。

 

息子も父親の事はほとんど覚えていません。

 

2015年、息子は20歳になりました。

調理師として一歩を踏み出しました。

元夫に似ていますね……

顔とか体格などが、そっくりです。

性格は息子は穏やかですね。

 

 

元夫に対する憎しみは、もうありません。

消えた……と思っています。

 

 

 

離婚してから2年後の2000年春、私は今の夫と出会いました。

2001年10月、私たちは再婚しました。

 

それから13年の結婚生活が始まりました。

 

 

 

 

 

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

最初の結婚15~助手席に乗っている女性は、誰?(1998年5月)

息子は言葉の遅れがありました。

 

生後すぐの脳内出血の為に定期的に病院で検査を受けていました。

言葉の遅れを指摘されました。

 

そこで、幼稚園入園1年前から市で主催している催しに参加する事にしました。

しかし、息子は集団行動が全くできず、部屋の隅で一人自由きままに

遊んでいました。

どうしてこの子はみんなと遊ぼうとしないんだろう……不安を抱いていました。

 

息子が10歳の時、軽い発達障害と診断されました。

「個性」と受け止められるレベルですが、耳からの情報には弱いです。

騒がしくて大勢人がいる場所だと、全ての人の声が「雑音」にしか

聞こえないらしく、そういう場所での人との会話が苦手だと言っていました。

(そんな時は少し場所を移動して、静かな所で話をしてみたら、とアドバイスはしましたが)

 

5月のG.W、私は学生時代の友達の家に息子と一緒に泊まり掛けで出かけました。

元夫は仕事でしたので一緒に行きませんでした。

息子が熱を出してしまったので、いつもよりも帰宅時間が早くなりました。

元夫は仕事で出かけていませんでしたが

部屋の中が異様にキレイでした。

すっきりと片づけられています。

 

……?

 

今までこういう事は一度たりともなかったのに、

何かが変だ……と思いました。

 

G.W明け、息子の定期検査の為に病院へと行き

その後市の施設へと行く為にある道を南下していました。

その時、元夫の車が対向車線を走ってくるのに気づきました。

 

助手席に女性が乗っていました。

 

すれ違った時、元夫もこちらを見ました。

すぐに私の携帯に電話がかかってきました。

「仕事関係の人だから」と。

 

 

バカじゃない……見え透いたウソ、つかないでよ!

仕事用の車じゃないし、こんな時間(10時頃)に何しているのさ!

 

 

 

いろいろとあったけど、もうダメかな……と思いました。

 

 

もう、無理だ……と。

 

 

 

 

 

最初の結婚14~調停取り下げと勘当(1997年10月~)

再び会う事になった元夫と私。

何度も何度も逢瀬を重ねていきました。

 

そして、3回目の調停では取り下げの手続きをしました。

 

 

とうとう両親に元夫に会っている事が知られました。

 

母は激怒し「この家から出ていけ!!」と叫びました。

あんなに怒った母を見たのは、後にも先にもこの時だけです。

 

私は荷物をまとめて息子を連れて実家を出ました。

そして、元夫の実家に2週間ほどお世話になり

再び親子3人での生活がスタートしました。

 

私は実家に帰る事ができませんでした。

元夫がそれを許しませんでした。

 

絶対に許してくれませんでした。

 

私も実家に帰れない事は分かっていました。

 

 

 

 

 

最初の結婚13~就職、調停そして……(1997年7月~9月)

実家の新聞の折り込みチラシの中にあった求人チラシ。

興味を持ったし、今までの自分の経験が生かせるかもしれないと

求人に応募しました。

 

そして、パートでしたが採用され、仕事を始めました。

それが1997年7月でした。

働き出してからしばらくすると

第一回目の離婚調停がありました。

 

それぞれ別々に呼ばれて、話をして

最後に一緒の部屋で話をする……流れだったような気がします。

(あまり覚えていないんです)

 

元夫とは会話を交わす事もありませんでした。

 

 

 

 

三回目の離婚調停の前でした。

何の用だったか覚えていませんが、私は車で出かけました。

途中、渋滞で止まってしまいました。

 

渋滞で止まっていた私の車の少し開いていた窓から

「これ読んでおいて!」という言葉と共に

紙片が投げ込まれました。

ぎょっとして見ると、後方へ走っていく元夫の姿が……!

どうやら私の車の数台後ろに元夫が運転するトラックがいて

たまたま私が実家から出てきたのを見たらしいのです。

 

紙片には、携帯電話番号が書かれていました。

 

 

その日の夜、私は元夫の携帯に電話をしました。

 

 

 

 

 

最初の結婚12~興信所の捜査の結果と家庭裁判所での調停(1997年7月)

元夫に

「今週の土曜日は息子を連れてちょっと実家に泊まりに行くね」と告げました。

 

興信所の調査スタートは土曜日に決まりました。

 

私たちが泊まりに行けば、きっと元夫は動く。

そう考えたのです。

 

そして、実家に泊まった翌日の日曜日、興信所から電話がありました。

 

クロだった……と。

 

 

私が予想した通り、女性のいる家へ泊まったそうです。

この女性、シングルマザーでした。

 

涙が止まりませんでした。

 

 

 

家庭裁判所での離婚調停の手続きをしました。

私と息子は実家に帰る事にしました。

どのような経緯を辿ったかは、あまり覚えていませんが

 

荷物を取りにアパートに戻った時、

 

カッターナイフでズダズダにされた結婚式のアルバムと

出ていった時に置いていった結婚指輪が

無残に折り曲げられて放置されていました。

 

恐らく、指で折り曲げたのでしょう。

 

 

元夫の事がとっても怖かったです。

 

 

後日送られてきた興信所の資料には

事細かく書かれた内容と、たくさんの写真が……。

 

とにかく、悲しかったです。

 

 

 

 

 

 

 

 

最初の結婚11~興信所に依頼~(1997年6月)

少し前から元夫の帰宅が遅くなっていました。

聞いても「残業だから」と言います。

 

ある日、元夫の携帯が鳴り、たまたま私が取ってしまいました。

(以前から元夫の携帯が鳴った時に、元夫がその場にいない時は

私が受けていました)

 

相手は女性でした。

……そのまま元夫に携帯を渡しました。

 

「誰だったの?」と聞くと

職場の人だと言います。

「炊き込みご飯を作ったから、食べに来ない?」という内容だったと。

 

は??

 

何だよ、それ……

 

 

それから、帰宅も大幅に遅くなり、

携帯に電話をしても連絡がつかない事が増えました。

 

とうとう私は実家の両親に話をしました。

元夫の帰りが遅くて、連絡がつかない、と。

 

そして、両親は興信所に捜査を依頼したのです。

 

 

 

 

 

最初の結婚10~再び引っ越し~(1997年3月)そして

転職先はパンの移動販売でした。

あちこちのお宅を訪問してパンの販売をするものです。

元夫にできるのだろうか……?と思っていましたが、意外と続いていました。

 

ただ、パンが売れ残ったりした時などは自腹で買い取っていました。

中学の時の友達が近くに住んでいる事や

競馬、パチンコなどのギャンブルなどをやっていて金使いは結構荒くなりました。

車も大きい車に買い替えました。

 

 

 

そんな時、義兄が経営しているアパートに入居しないか勧められました。

家賃を少し安くしてあげると言われ、その好意に甘えました。

 

再び引っ越しです。

 

引っ越しをする度にお金もなくなっていきました。

 

 

 

でも、このアパートには4ヶ月しかいませんでした。

 

 

私と息子が実家に帰ったからです。

 

 

 

夫が浮気をしていたからです。

 

 

 

 

 

最初の結婚9~転職と引っ越し~(1996年春)

 

元々夫の会社は私がいた会社の関連企業でした。

しかし、業績が悪化したのか私の会社に吸収されました。

元夫も部署が代わり、慣れない仕事もあって

転職を考えていたみたいでした。

 

私に相談する事もなく転職先を探し、辞表を提出。

そして、実家がある市へ引っ越しをしました。

 

この時は息子はまだ1歳になっておらず

引っ越し作業も大変でした。

 

ほとんど私が引っ越しの荷造りとか片づけをしました。

 

どうして手伝ってくれないんだろう……

でも、それを言うとキレるから、言えない……

 

心のどこかで元夫の事が怖かったんですね。

 

 

男の人を怒らせたら、いけない……と思っていました。

力では絶対に負ける。

力でねじ伏せられたら、たまらない。

 

 

その考えは、今もあります。

 

 

 

 

 

最初の結婚8~退院~(1995年10月~)

私のほうが先に退院しました。

実家で搾乳をして、それを凍らせて病院へ届けました。

 

NICUの保育器に入っている息子に面会できる時間は限られていました。

ですが、毎日毎日お見舞いに行きました。

使い捨てカメラが保育器の上に置いてあり、

看護師さんが息子の写真を撮ってくれました。

また、この病院は臍帯(へその緒)を保管してくれないらしいのですが、

NICUの看護婦さんは脱落した息子の臍帯を保管してくれてました。

 

 

出産から2週間後、息子は退院しました。

 

それから1ヶ月ほど実家で過ごし

家に戻ったのは11月の半ばでした。

 

そして、親子3人での生活が始まったのです。

 

 

元夫は育児に参加してくれましたが、

土曜日の夜になると、遊びに出かけてしまいました。

 

ある日、自分の具合が悪かったので

出掛けていた夫の携帯に(その頃、持ち始めました)連絡をしました。

「(自分の)具合が悪いから帰ってきて欲しい」と。

ですが、「何で帰ってこなくちゃならないの?」と言われ

「どうして……」と思った事もありました。

 

周囲に親しい人はいなくて、日中は息子と二人きり。

初めての子で、慣れない育児に奮闘していたのに

こういう時こそ、父親である元夫にも少しでも手伝ってもらいたかった。

だけど、それを言うときっと機嫌が悪くなる。

怒らせるのが、怖い。

 

……何も言えなくなりました。

 

 

その頃になると、元夫は転職を考えていたようです。

 

 

 

 

 

最初の結婚7~息子、入院~(1995年10月)

息子が生まれた時、実家の母が夫に連絡をしました。

当時は携帯もなく、ポケベルでした(時代を感じますね)

ですが、連絡がつかなかったのです。

 

その日は身体を休めて、次の日授乳の為に新生児室へ行きました。

ガラス越しに赤ちゃんが寝ているのが見えます。

 

自分の子供はどこかな?と探しましたが、分かりません。

あれ?と思いました。

 

授乳室へ行くと、看護師さんに呼ばれました。

 

 

息子が脳内出血を起こして、NICUへ入院した……と。

 

 

その頃の記憶があまりありません。

ですが、その日の午後にやっと病院に来た夫の顔を見た瞬間、

泣き出したのを覚えています。

 

そして、その後ドクターの説明を受けました。

痙攣しているのを看護師が発見し、そのままNICUへ。

頭部CTを撮って、脳内出血を起こしているのが判明。

今は点滴治療をしています、という説明でした。

 

原因は

産道を通過する時に無理な力がかかったのではないか、という事でした。

 

……お産にかかった時間は5時間。

 

最悪の場合、後遺症が残る可能性もあります、と言われました。

 

当時のカルテには(ある事の為に取り寄せました)

 

「母親はニコニコしながら聞いている。後ほどフォローが必要」と書いてありました。

 

 

 

 

 

……妊娠した事を、ずっと後悔していたから、バチが当たったんだ……と

思わずにはいられませんでした。

 

 

決して周囲には、そして息子には決して言えない後悔……。